暖簾の「鰻」の文字からうなぎ屋であることと、建物の朽ちた様子から長い間、この商店街の一番奥にあるということは分かる。ただ、メニューが店の外にないので、曇りガラスの引き戸を開けるまでうなぎ以外の料理があるかわからない。 店の前を行ったり来たりしていると、換気のために10cmほど開いた窓から白い割烹着を着た店の人が見えた。客はいない様子。この後、久しぶりに都内用事があって急いでいるのでインターネットで検索せず、静かに引き戸を開ける。入って右手にレジ、その上にNHKの流れるテレビと、壁に貼られたメニューが見えた。うなぎ以外もある。
午前中、いつものように息子を幼稚園のバスに乗せ、仕事の連絡をいくつか返す。妻がオンラインの食育講座を見るというので、パスコードを解除したiPadを渡した。 iPadを渡したことで一仕事を終えたような気がしたのと、ちょうど来週のタチウオ釣りの詳細がLINEで来ていて、そのタナ(水深)ならもう少し軽いルアーでも大丈夫だろうと、準備してあった釣り道具の構成を変更する。釣りはいつでもVUCAなのだ。
妻のオンライン講座が12時前に終わり、私はそのまま出掛けられるようMacBookProを入れたリュックを持って昼ご飯へ出た。 入ったことのない古い鰻屋の前を過ぎて、よく行く魚料理の店に向かう。この店は「Close」という札が出ていても、それは「魚の残りが少ないからまた今度でもいいと思うよ」という意味で、表にメニューの看板が出ていれば入れることに最近気付いた。 今日はCloseという札が出ていて、メニューの看板もないので本当に休みだ。いい魚が入らないと休みになる。
仕方ないので通り過ぎてきた鰻屋に入ることにした。 鰻は3000円〜5000円。その他のメニューが800〜1500円。カツ丼、親子丼と上親子丼、天丼と上天丼など。上親子丼が気になる。鰻重の松竹梅は鰻の量だと聞いたことがあるので、この「上」は親子の量なのではと想像する。カツ丼に上がないことが気になり始める。二人ともカツ丼を注文。テレビを背にした私の後ろからは朝ドラの再放送が聞こえ、妻は普段見てない朝ドラの途中回を見ている。 カツ丼が来るのを待っている間に、常連らしき60代くらいに見える夫婦が一組と、こちらも常連と思われる70歳はゆうに超えていそうなお婆さんが一人。お婆さんが席に着くとすぐ「上親子丼」を注文した。いつも注文しているのだろう。店員も「ご飯は普通盛りでいいですよね」と分かったように返すが、「少なめで」とお婆さんが言った。少なめで上親子丼。
注文したカツ丼が運ばれてきた。直径20cmもない小降りの蓋を開けると隙間なく敷き詰められた卵とじのカツ。カツに曇りガラスの桟の影が落ちている。今日は晴れている。 味は甘め。付け合わせのたくあんも甘い。きゅうりは糠漬けだ。カツは薄いロースを5枚重ねて揚げたもの。「この薄いロースが重なったのが乙だし、きゅうりだけ糠漬けというのがまたいい。」と妻に伝えようかと思ったが、マスクもしていないし、目の前には透明な板があるので聞こえづらいだろうとやめておいた。
私たちが食べ終わってもまだ、お婆さんの上親子丼はこなかった。