デザイナーの横田です。この文章を書いている2025年6月22日からみて、フリーランスになってもうすぐ4年。私の写真を撮った息子は7歳。前職では「デザインセンターの横田です」、前々職では「ストゥーパの横田です」、と、会社名を付ければ自己紹介ができていて。フリーランスになって、屋号も設定しなかったから、完全に無印の横田。無印の横田です。
ごく稀にプロフィール文を求められた時に、書くことがない。人のポートフォリオサイト(デザインセンター時代に担当した鬼木デザインスタジオや、互いに渓流釣りをするけど一度も一緒に行ってないHi! Designとか)を制作したときに流し込む受賞歴。あれは便利。羨ましい。私の仕事はウェブデザインが殆どで、応募できる賞がそんなに多くなかったのと、水面下でひっそりと70〜80点を取るようなタイプなので、そもそも応募しても箸にも棒にもかからない、と。「箸にも棒にもかからないもの」って何だったんだろう。そばを茹でた時に鍋に残る細切れの麺か。
唯一の受賞歴。デザインセンターを辞める少し前、2020年かな、東京TDC賞に応募して入賞した、女子美術大学ウェブサイトリニューアル。TDCは「Type Directors Club」の略で、文字通り文字、タイポグラフィに主軸が置かれていて。女子美のサイトはメインビジュアルとして在校生から集めた言葉を、Noto SerifとNoto Sans(無料でみんながよく使う書体)で丁寧に組んでいたんだけど、それが評価されたのかなと思うと有難い。 ただ、コロナ真っ只中で、授賞式も何もなくて、ぼんやりと年鑑用の画像を送って終わった記憶。でも、当時、大学の広報だった橋本さんが、「大学サイトで入賞したのは女子美が初めて」ということに喜んでくれたのは良かった。
文章を書き始めたときは雨が降ってたけど、今、佐川急便が来て、外に目をやったら、もう雨は上がっていて。晴れ間が出ている。届いた荷物は息子の新しい上履き。アシックスのオンラインで購入。
他に何か受賞してなかったかな、と記憶を手繰る。前々職、つまり私が大学(武蔵野美術大学デザイン情報学科)を卒業してすぐ入社したストゥーパで作っていた「kusudama」というレシピサイト。PR的にいくつか賞に出そうみたいなことをしていた気がして、検索する。グッドデザイン賞の受賞ギャラリー2009に掲載されていた。この時はデザイナーではなくて、エンジニアとして作業してたと思う。今は動かないFlashのAction Scrpit 3で、プログラムを組んでいたはず。2009年のギャラリーに掲載されているから実制作は2008年あたりか。17年前。
グッドデザイン賞のサイト、今みたら変わっているけれど、kusudamaが選定された3年後、2012年に前の職場、日本デザインセンターのオンスクリーン制作室に転職してすぐくらいに、リニューアルをデザインセンターで手掛けていて。デザイン案を部署の3人(先輩、私、私と同期で同い年)で案出しした。提案されたのは先輩デザイナーの案。この先輩、18時(一応、当時の定時)になると缶ビールを自席で空ける人で。静かな部屋に響くプルタブを起こして吹き出すガスの音を聞きながら、仕事してんのかよ、ないなら帰れよ、と思っていたものだが、フリーランスになった今、この段落を書く前に昼ご飯、唐揚げ定食と瓶ビール(赤星)をやってきたんだから、なんとも言えない。
デザインセンターに入った頃は、まだ仕事でやるウェブサイトの規模も小さくて。グラフィックデザインやブランディングの会社という見え方だったのもある。デザイナーが一人で企画・構成、デザインを担当していた。ストゥーパでフロントエンドをやっていたので、私の場合はコーディングまでやっていた。三越伊勢丹のバイヤーがセレクトした一点ものを紹介する企画のサイトを担当した時(2015年か、デザインセンターのサイトに掲載されていた)、「逸品って手に取って回しながら眺めますよね、あれをサイトでもやりましょう」と提案。商品を360°撮影して、マウスとタップで回せるように自分で実装。企画と実装の両側からデザインできるのはいいと思う。このポートフォリオサイトの実装は殆どCursorだけど、Cursorもそういうイメージで使っている。
4、5年くらい経ってからか、段々とコーポレートサイトなどの案件が増えてきた。自ずとプロジェクトマネージャー、ディレクター、デザイナー、エンジニアという分業が発生して、関わる人も増えてきた。部署にはいない職能もあって、外部のパートナーも増えた気がする。この頃、出会った人たちとフリーランスになった今も仕事をしている。分業が増える中で、それまでの実装までやる、もしくは実装からもデザインできる小規模な案件は、バランスを取るためにもやっていた。編集者の土屋さん(現バンドメンバー)と担当した、リットーミュージックの「Touch that Sound!」という企画展のサイトとか。
バランスを取るためというのは、分業が進んでも他領域の感覚がなくならないように、という理由と、もうひとつあって。デザインセンターの後半、オンスクリーン制作室のリーダーになり、室長になり、と、実作業以外にマネジメント(という程にはやってないが)業務を任されていた。メンバーの環境改善とかまあ、そこそこには貢献したと思うけど、デザイン作業が減ってしまって。何か作る時間が必要だったという理由もある。その気持ちが大きくなることも、フリーランスになる要因ではあるのだけど。
フリーランスになろうと思った2020年。COVID-19の流行で、フルリモートになっていて。分業が進んだタイミングで、社外の知人・友人が増えていて。子供の誕生を機に、多摩川から小田原に引っ越しをしていて(COVID-19の流行より前だったので、かなりいいタイミングだった)。年末、上長と部門のリーダーと、来期の部門方針を検討する会議の終わり、「会社辞めようと思う」と、その1時間の話の腰を砕いた。それでもフリーランスになってから、デザインセンターともいくつかの仕事をやっているし、前々職のストゥーパともそうなので、感謝ですね。感謝で締めくくるといいって武田君が言っていたので、そうしてみます。
他にも書くことはいろいろあるので、また追加してこのページからもリンクを張ったりしていこうと思う。
SNSのアカウントを追記しました:
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