昔は映画館があったらしい。家の前の通り。いつもドアを開けっ放しにした薄緑色の床屋がある。前を通りがかると、中からラジオ「…最後にマグロを上に乗せると、マグロぶつの〜」と聞こえた。マグロぶつのなんだろう。最後というのだから、マグロの下にあるものも相応に調理されたものだろうけど、思いつかない。ラジオの音は大きいが、ドアを過ぎるとすぐ聞こえにくくなる。指向性が高い。高いっていうのか。違うな、単一指向性だ。
12時になる少し前。今日も日差しが強い。ほとんど背丈の変わらないおばあちゃん6人、日傘をさして歩いている。後ろ2人は揃いの柄の色違い。1人はハット。高校生らしい人たちも多い。夏休み前はテストかなんかで早く終わるんだっけ。幼稚園くらいの子が母親のサングラスを借りて歩いている。手を繋いで。いや、サングラスがずれないよう手で抑えているから、手首を掴まれている。うちの息子は7歳だが、まだ手を繋いでくる。私から手を出すことはない。いつまで手を取ってくるのだろう。
午後、打ち合わせがある。ビールに代わる何か、炭酸がいい。ドリンクがセットになったところに行こう。ドンキホーテの向かいの建物の2階、ベトナム料理屋に向かう。近くでかなり大きなマンションが建築中。更地になって、マンションの芯みたいなものを埋める作業か。仮囲いの向こうから重機の音が聞こえる。白い囲いには完成予想図のCGパースが貼られている。夕暮れの光に包まれた入り口の様子。素敵なCGパースの前には、今、たくさんの自転車が停められている。マンションが竣工したら、この自転車はどこに停めるんだ。
店の階段を上がると、左右の壁に前までなかったベトナム国旗のシールが貼られている。3センチくらいの小さなシール。店内に客はいない。壁掛けテレビにはベトナムのEDMを流すYouTubeが映っている。ここの壁にもシールが貼られている。小さな穴でも隠しているような貼られ方。「牛肉フォーセット(汁あり麺)」、セットのドリンクはペプシコーラを注文する。QRコードから表示したモバイルオーダーで。注文の入った音が響く。店員ひとりと私しかいない。EDMはたまに再生が止まる。
本は持ってきているが、なんとなく開かず。窓際に座っているので、ベランダの手すりと、そこに張った蔦の隙間から、ドンキホーテの入り口を眺めている。こちらは入り口専用で、出口は別。人の顔は見えない。後頭部と背中の開いた服と。自動ドアの上には「安さの殿堂」と書いてある。殿堂入りだな、と思ってる間に牛肉のフォーが運ばれてくる。調味料と箸が置かれたところから、胡椒を取る。前はここに日が落ちていたのに、今日は落ちていない。昼間の太陽が高くなったのだと思う。トレーの右手前には、2つに切られた生春巻きがある。1つ食べて、フォーを食べようとしたら、長くはみ出したネギが手に当たるので、2つとも食べてしまう。
ベランダに掲げてあるベトナム国旗の素材がサテンで、風に吹かれる度に反射して眩しい。